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インタビュー

一般的な話、建築は組織のトップや実力者、金持ちなどいわゆる社会的強者を相手にしなければなりません。そこでの私の対応は…。
第一級の建築家をめざして意気盛んな時期の荒削りな発言ですが、長いものには巻かれろに反発し建前よりホンネの姿勢などは今も通じるものがあります。

いいものは人が買うてくれます一作一作が勝負と“突っ張る”- 日経アーキテクチュア

松本 直高氏(松本建築設計事務所,大阪市)

写真(まつもと なおたか)
北原建築事務所に6年、彦谷建築設計事務所に9年間勤務。
48年2月独立、松本建築設計事務所を開設。
住宅、町中の小規模ビルなとの設計を手がける。先頃、第24回大阪建築コンクールの 第1部に安本歯科医院で入選。現在、所員3人で設計に追われているという。

 建築設計事務所の二大集中地の一つ大阪は、半面で若手の建築家が登場しにくい所という。そんな中で、先日の大阪建築コンクールで、不惑の齢を来年に控えた松本氏が入賞した。訪ねたのは都心部、土佐堀の古いビルの一室。

−−意気盛んなところで、まずは入賞の感想を―。
「コンペは嫌いなんですよ。今まで意識的に応募を避けてきた。というのは、イメージ、発想も大切だが、“言いっぱなし”の案ではなく、誉められるにしろ腐されるにしろ、言い訳のきかない実物で評価されたいと思っている。その意味で今回の受賞はうれしい。様々な泥くさい設計条件を踏まえてでも、建てる行為それ自体が好きだし、出来上がった物で勝負したい。そこに力を注ぎ込む」

−−独立して5年。その間の経緯は。
「独立するチャンスを狙って準備をしていたのではなく、ある時突然、スタッフとしてやるものとは違うものをやりたくなった。たまたま独立するようにと促す人がいたのもきっかけになった。早速、小規漢な事務所ビルの設計に取り掛かった」
「彦谷事務所にいた時は、しっかりした施工会社が相手だっただけに監理もやり易かったが、いざ独立しての初仕事になると、きっちりと図面を書かなければ思いどうりに意志の疎通が図れないことを痛感。以後、慎重になり、できるだけ施工図を書くようにしている」
「施主は大事にするが、迎合はせエしません。鼻っ柱がごっつう強いと自分で思うほど。早い話が、しょうもない仕事をするために建築をやってるんじゃないとの考えを一方的に持っている。ところが相手(施主)はそう思っていないだけに最初は面喰うし、その間の軋轢は大きかった。惨々叩かれたけれど降参しなかった」 「それにしても、一件一件のぶっつけ本番の仕事の中で、自分としての選択をしてきたこの5年間は短かった。いらん予備知識があったら、独立できなかったんではないかな」

−−そうすると設計上のポリシーは―。
「設計は説得や、と思います。施主、さらに施工会社を相手に、いかに設計意図を理解してもらうかによって出来上がる建物は決まってしまう。今までの施主は個人、会社が相手の場合でも叩き上げのワンマン社長が多く、最初の設計依頼ではプレハブに毛の生えたようなしょうもないものを求めてくるが、写真や模型を見てもらい、実際の建物に案内して、自分がオーナーとなる建物への欲を高めていってもらった。そこに設計の面白さがあるし、説得の重要性がある」
「一時、地方自治体発注の設計をやったこともあるが、あれはあかん。議会の承認を経た予算の枠があるとはいえ、建物の規模から基本プランまで押し付けられてはどうしようもない」
「基本的に建築は美しくなければいけないと思う。何が美しいか、ということは時代により人により意見が分かれるにしても。少なくとも設計論で建築が出来るとは思えないし、理論を装ったものは好かない。出来たものには言い訳はきかないし、それがすべてを語る」
「住宅など小規模な建物では、プランも形態もできるだけ単純明快に抑える半面、大胆に表現するポイントを狙って設計する。竣工後、変な家具を持ち込まれて空間が壊されないよう、時には建築本体の予算を削ってでも、造り付け家具を多用し、造園工事も一緒にトータルにきめ細かく設計する。家具、造園に写真も含めてやってもらう人を決めている」
生まれも育ちも大阪という生粋の浪花っ子から見た関西の地方性とは―。
「気候風土の違いで建物は変わるし、その意味での地域性は否定しないが、地域性に縛られていてはあかん。風土・地方性を突き抜けたところに、ほんまの建築があるんとちがいますか。どこであろうと、設計者は地方に居ることを免罪符にしてはあかんと思います」
「京阪神と並べて見ると、大阪で一番いけないのは町が汚ないこと。コミュニティー意識が希薄。よう言えば自由競争いうことになるが、建物が町を造っていくという意識が少ない。住宅でも向こう三軒両隣と関係なく、建ぺい率をオーバーしてでも私権を主張しようとする。敷地の争いなども多い。かといって、いい町は言うと仲々ないのが現実だが…」
「建築主にしても、実用的なものを尊び、余分な金をかけたがらない傾向がある半面、歴史的、伝統的に培われ“目が肥えている”。もののエエ悪いという本質を見抜く力をオーナーが持っているだけに、いいものならどんどん受け入れてもらえる土壌があるのは関西の特徴」 
「関西の枠を越えて仕事をすることは今後あるだろうが、関西で(建築家として)力をつけるいうのは大きい意味がある。まず、したたかになる。他所から関西へという逆は仲々難しいのとちがいますか」

−−ところで不況下の建築界、ダンビングの横行や設計料の独禁法抵触問題て揺れ動く設計界をどう見ているのか。
「不況、不況と一般的に言われているが、わたしはむしろいい時代やと思います。うちに関しては特に景気が悪いこともないし、設計の仕事が事務所によって片寄っており、仕事のないところは大変やと聞くと、そうかいなと思うぐらい」
「経済の高度成長期のように大きな流れに乗っていればいい時代と違い、方向性の定まらない“乱世”の時期だけに、お互いの意見に耳を傾け、また発言する機会も多くなっている。危機の時代に身を置けるのは幸せだ」
「設計料のダンピングは絶対いかん。設計という大切な技術を提供する見返りとして相応の報酬は頂く。うちは建築士会の料率を基準にかなりの額をもらってますよ。オーナーに恵まれた面と、自力で勝ちとった面と半々。職能団体としての基準の設定は欠かせないが、お墨付きにだけ頼るのではなく、ゲリラ戦で個人的に実力で設計料を獲得していく必
要がある。設計料が安かったからいいものができなかったというのは言い訳にもならない」 「日本建築家協会には入っていないが、家協会よりも士会の方がこれからは大事な組織になって行くと思う。選別されたエリートのサロンにダイナミックな力は期待できない。
ピンからキリまでを合わせもった士会のような組織が設計料などに現実的な大きな枠を設定し、そこから脱落者を出さないようにしなければいけない。建前と本音が違いすぎるのはあかんですよ」

−−最後に建築家についての関心、そして今後の抱負は―。
「一番関心を持っているのは同年輩の人たちに対して。ライバル意識もあるし、お互いに何をしようとしているのかを知り、自分自身の方向性を確認する手だてにもなる。その意昧で、名前はあげないが嫌いな建築家や建物を反面教師としている」
「最近になって力がたまってきたような気がする。30歳後半が勝負とちがいますか。30代後半と40代の迫力とは違います。所員3人という今のうちの事務所規模では小さなビルと住宅の設計を年に5〜6件が限度。仕事があるからといって人数を増やすということもしたくない。自分の目の届く範囲内で設計をしていきたい」
「今後やりたいものは口に出せへん。正直言ってわからん。願って出来るものではないし、自分のやっていることを疑わんと一つ一つ懸命にやることかなあ。ちゃんとやっていれば、人は絶対買うてくれますわ。アワテたらいかん思いますね」
(鎌原正昭)

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